高次脳機能障害の患者さんを中心に診療を行っています。日々修行です。

<p>このたび，大平純一朗先生よりお声掛けいただき，私が経験した症例に関して，情報を共有させていただきます。このような貴重な機会をいただきましたことに，心より感謝申し上げます。</p>
<p>Medixpost への投稿は初めてで，簡単に自己紹介をさせていただきます。私はオリバー・サックスやラマチャンドランなどの本が大好きで，それをきっかけに神経心理学に興味を持ちました。東大の脳神経内科医局（戸田達史前教授）で臨床神経学の修行をした後に，東北大学病院の高次脳機能障害科（鈴木匡子前教授）に国内留学をさせていただきました。現在は，東北大学で修行を重ねつつ，東京でも細々と神経心理の臨床に従事しております。</p>
<p>今回ご紹介するのは，2022年に経験した症例で，最近論文として発表する機会がありました[1]。あとから知って驚いたのですが，大変光栄なことに表紙になりました。</p>
<pre><code>&lt;a href="https://www.neurology.org/doi/full/10.1212/WNL.0000000000210254"&gt;&lt;img src="https://medixpost-article-images.s3.ap-northeast-1.amazonaws.com/680b8d9e-9468-44ed-8251-02cf81a91732/20250805160316-cover.jpg" width="25%" height="25%"/&gt;</code></pre>
<h2>症例</h2>
<p>60歳代の右利き男性，日常的に書字やタイピングを行う教員の患者さんです。</p>
<p>仕事中に，仮名を誤って書くことや，タイピングを思うようにできないことを自覚され，発症から4日後の当直帯に東京の病院を受診されました。</p>
<p>ちょうど当直帯に院内にいた私が診察に伺うと，手指の巧緻運動障害や感覚障害，視運動性失調は認めませんで，明らかな失語や失読も認めませんでした。しかし，仮名の書き取りでは，多数の字性錯書，書き直しを認め，転置や保続性のエラーも伴っていました。タイピングにおいては，両手でのタッチタイピングはもちろん，片手で手元を見ながらであっても，多数のエラーを認めていました。</p>
<h2>頭部MRI</h2>
<p>左内包後脚に限局する急性期ラクナ梗塞を認めました。</p>
<p>図1．左：MRI画像，右上：WAB情景画説明，右下：書取り</p>
<pre><code>&lt;img src="https://medixpost-article-images.s3.ap-northeast-1.amazonaws.com/680b8d9e-9468-44ed-8251-02cf81a91732/20250805160200-Fig1.jpg" width="85%" height="85%"/&gt;</code></pre>
<h2>疑問</h2>
<p>内包後脚のラクナ梗塞は，通常運動麻痺を起こすことでよく知られています。しかし，この患者さんでは運動障害がない一方で，仮名の失書とタイピング障害のみが起こっていたのです。これはどうしてなのだろうと頭を悩ませながら東北大学に戻り，早速カンファレンスで症例を提示し，鈴木教授を含め科内でdiscussionを行いました。</p>
<p>カンファレンスでは，梗塞部位は運動麻痺を起こす部位よりも少し前方にあるのではないか，また，投射線維の障害による遠隔効果を見ているのではないか，という意見をいただきました。医局にあった森進先生のアトラス[2]を見てみると，錐体路よりも前方の内方後脚〜膝には，視床放線が通ると書かれています。そして，視床出血後に仮名優位の失書を生じたという論文を見つけました[3]。</p>
<p>もう一つのヒントは，古くから偉大な先人達が報告されているように，前頭葉の障害によって仮名の書字障害が起こりうるということです。山鳥先生の教科書には，Broca失語では漢字に比べて仮名書字が障害されるという基本傾向は動かぬ特徴であると書かれています[4]。また，中前頭回は（議論はあるものの）Exnerの書字中枢として古くから知られていますし，中前頭回付近の脳損傷で失語のない仮名の純粋失書が起こること，ローマ字変換やタイピング障害が起こることが数多く報告されています[5-8など]。</p>
<p>参考図（自験例）：左中前頭回後部〜中心前回出血後，仮名の純粋失書</p>
<p>&lt;img src="https://medixpost-article-images.s3.ap-northeast-1.amazonaws.com/680b8d9e-9468-44ed-8251-02cf81a91732/20250805161310-Figref.jpg" /&gt;</p>
<h2>仮説</h2>
<p>以上から，視床と左前頭葉（特に中前頭回周辺？）を結ぶ投射線維が，内包の梗塞部位で離断された結果，左前頭葉皮質への遠隔効果が生じて，仮名の純粋失書が起こったのではないかと仮説を立てました。</p>
<p>患者さんにそれを説明したところ興味を持ってくださり，仮説を示すために，追加で拡散テンソルイメージングと脳血流シンチグラフィーを行うことに同意をいただきました。</p>
<h2>結果</h2>
<p>拡散テンソルトラクトグラフィでは，錐体路（青）が病変より後方に描出される一方，視床から上前頭回・中前頭回への投射線維（ピンク）が左側でのみ描出されませんでした。また，脳血流シンチグラフィーでは，左中前頭回に軽度の血流低下を認めました。</p>
<p>図2．左：拡散テンソルトラクトグラフィー，右：IMP-SPECT (3D SSP) 血流低下部位</p>
<pre><code>&lt;img src="https://medixpost-article-images.s3.ap-northeast-1.amazonaws.com/680b8d9e-9468-44ed-8251-02cf81a91732/20250805160306-Fig2.jpg" width="90%" height="90%"/&gt;</code></pre>
<h2>その後</h2>
<p>本症例は約3年間にわたり外来でフォローアップを行い，その間も書字検査をはじめとする多くの検査にご協力いただきました。入院中「日記を筆記で書いてみてはどうか」と軽くご提案したところ，以降3年間毎日欠かさず日記を筆記で継続してくださり，その記録を外来で毎回見せていただきました（個人的にはこれが最もすごいことだと思います，私には到底真似できません）。</p>
<p>仮名の書字障害は時間の経過とともに徐々に改善し，現在ではタイピングにおいていくつかの誤りが見られるものの，自動補完機能や修正機能の助けもあり，仕事に支障はないとのことです。</p>
<h2>考察</h2>
<p>以上の結果は，内包後脚の前部において，視床と左前頭葉を結ぶ投射線維が離断された結果，左中前頭回皮質の障害として，仮名の純粋失書が起こったという仮説に矛盾しないものと考えております。</p>
<p>この内容を2023年に日本高次脳機能学会に発表し，その後Neurology誌に論文として掲載されました。内包後脚はよく経験する脳梗塞部位ですが，このような書字障害の報告はほとんど見つかりません。この一例にたまたま見られた特殊な現象なのか，あるいは，右手の麻痺により失書が見逃されている可能性があるのか，今後の検証が必要ではないかと思います。</p>
<p>学会で発表したのち，脳梗塞に大変詳しい山本康正先生にコンタクトをとったところ，ご多忙の中にもかかわらず，本例のシークエンスをご丁寧に確認していただきました。個人差があり様々な血管支配が考えられるものの，LSAかもしれないし，AChAの前枝であるかもしれない[9]と教えていただきました。通常の内包後脚梗塞よりも少し前方（膝部）まで及んでいる，本例のような脳梗塞症例に対しては，右手に麻痺がある場合，左手で書字をさせるということが障害の発見には有用かもしれません。</p>
<p>また近年，同様の部位で純粋失タイプが起こることが，済生会熊本病院の山本先生・稲富先生から[10]，もう一つは新潟大学の畠山先生から報告されています[11]。タイピングは音素への分解を必要とする点で，仮名書字と同様に音韻処理の負荷が高いと考えられます。おそらくは，類似する機序によって，近接する脳部位によって処理が行われていることが予想されます[12]。</p>
<p>今後も類似する症例が蓄積されることで，我々が仮名を書いたり，タイピングをしたりする際にどのような脳部位が重要であるのか，そして，どのようなメカニズムで行われているのかがより詳しく分かってくるかもしれません。</p>
<h2>謝辞</h2>
<p>今回，非常に協力的で数多くの検査を施行していただいた本患者さんに，心より感謝申し上げます。症例についてご指導・議論いただきました，東北大学病院高次脳機能障害科と東大病院脳神経内科の多くの先生方にも，心より感謝申し上げます。</p>
<p>また，本記事を書いてみるように勧めていただいた大平先生，および，読者の皆さんに感謝申し上げます。もし余裕があれば，いつか <strong>仮名・漢字の読み書き 温故知新②</strong> も書いてみようと思います。</p>
<h2>参考文献</h2>
<p>[1] Katsuse K et al, <em>Neurology</em>. 2025; 104(7): e210254. [2] Mori S et al, <em>Neuroimage</em>. 2008; 40(2): 570-582. [3] 相馬ら, 脳と神経. 1991; 43: 275-281. [4] 山鳥, 神経心理学入門, 医学書院. 1985. [5] Abe K &amp; Yokoyama R, <em>Behav Neurol</em>. 1994; 7(2): 79-81. [6] Sakurai Y et al, <em>Neurology</em>. 1997; 49(4): 946-952. [7] Ogura K et al, <em>Brain Lang</em>. 2013; 127(1): 1-5. [8] 東山 &amp; 田中, 神経心理学. 2016; 32(4): 278-289. [9] Koizumi T et al, <em>J Neurol Sci</em>. 2019; 406: 116455. [10] 山本ら, 臨床神経. 2024; 64(3): 163-170. [11] Hatakeyama M et al, <em>BMC Neurol</em>. 2024; 24(1): 374. [12] 大槻, 神経心理学. 2021; 37(4): 262-271.</p>
<h2>追記</h2>
<pre><code>片仮名に関する質問をいただきましたので，サンプルを提示いたしました。</code></pre>
<pre><code>図3．仮名・漢字の書取りサンプル追加</code></pre>
<pre><code>&lt;img src="https://medixpost-article-images.s3.ap-northeast-1.amazonaws.com/680b8d9e-9468-44ed-8251-02cf81a91732/20250806192227-Fig3.jpg" width="65%" height="65%"/&gt;</code></pre>

仮名・漢字の読み書き温故知新① 〜内包後脚梗塞で仮名の純粋失書？なぜ？〜

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